歴史は好きですか?私は、幕末維新辺りの歴史が好きです。
そんな、幕末維新の歴史が好きな方には絶対に興味がある神社が山口県の美祢市にあります。
金麗社
山口県美祢市にある金麗社とは、1420年に創建された神社です。
祭神は、菅原道真、旧称天満宮です。
また慶応元年の大田絵堂の戦いの際、高杉晋作の輩下の正義派諸隊が本陣をこの神社に置いたことでも有名な場所です。
この戦いにより戦士した諸隊の顕彰の碑があります。
金麗社 入口
金麗社の入口になります。入口から見渡す限り古木がうっそうと繁っています。春は桜、夏は蛍の名所としても知られています。
奇兵隊戦勝記念燈籠(とうろう)
鳥居の手前に見える燈籠は、慶応二年六月に幕府が第二次長州征伐(四境の役)を行いましたが、このとき奇兵隊は関門口を守備し高杉晋作指揮のもとに小倉城を落としました。
この燈籠は小倉延命寺から分捕ったもので、戦利品として持ち帰り金麗社に奉献したものです。
金麗社境内にある句碑や顕彰碑
境内には、鳥居から本殿へ向かう参道を挟んで句碑や顕彰碑が沢山並んでいます。
武士が詠んだ句や殉難十七士之碑等が並んでいます。
手水舎
私が来た時は、誰も参拝者は居ませんでした。この手水舎も常に水が流れている様子ではありません。水の出口は水道の蛇口となっていました。
金麗社 本殿
こちらが本殿になります。
祭神は、菅原道真、旧称天満宮です。
幕末に高杉晋作・伊藤博文・山県有朋とう、名のある武士がここで維新への道を切り開くべき作戦会議を開いていたかと思うと歴史を感じずにはいられません。
大田・絵堂の戦い
幕末の長州藩は、尊王攘夷の急先鋒でした。禁門の変で敗れて第一次長州征伐の結果、藩の要職は保守派が占めることに・・・この事態を革新派の高杉晋作が憂いて功山寺で決起をします。そして諸隊を率いて萩を目指したのです。そして、保守派の政府軍はこれを鎮圧しようと美東町絵堂・大田で衝突をしたのです。
慶応元年(1865)正月七日未明に始まった。正月十六日までの間に、十日の長登、大木津・川上戦、十四日の呑水峠の戦い、十六日の赤村の戦いと三回の激戦がありました。戦死者は四一名にものぼりました。
大田・絵堂戦役の諸隊
大田・絵堂戦には以下の諸隊が参加をしていました。
奇兵隊・膺懲隊・遊撃隊・八幡隊・南園隊・御楯隊
が参加をしていました。
大田八幡宮
金麗社と並行している神社です。2つの神社が並んであるって珍しいですよね。
こちらの神社については、詳しい情報がないのですが、他所から金麗社の敷地に移設されたとの事。歴史は金麗社より古いようです。
大田八幡宮 参道
金麗社の参道は、コンクリートでしたが、大田八幡宮の参道は石畳でした。立派なアーチ橋も掛かっています。
大田八幡宮 本殿
大きさも形状もお隣の金麗社とよく似ていて、最初に来た時は区別が付きませんでした。金麗社側の鳥居には「金麗社」と書いてあります。
大田八幡宮の鳥居には「應神宮」と書いてあります。
大田八幡宮のお賽銭箱横の柱に、こんな物を見つけました。
これ何?何かの目印・・・
一時、考えてみたけどもしかしてお百度参りで使う目印かな?神社の宮司さんに聞いてみればよいのでしょうが、周囲には誰もおられずわざわざ聞くのも気が引けて結局解らずじまいで帰りました。
アクセス
まとめ
今回は、山口県美祢市にある金麗社と大田八幡宮を散策しました。同じ敷地内に2社あるとはなんとも珍しい神社でした。さほど広い敷地でもなく参拝者も見かけませんでしたが、歴史は古く由緒ある神社でした。
なんと言っても歴史好きな方(特に幕末・維新)には、是非訪れてみたい場所ですね。